四貫島住吉神社様の社伝によると、かつては多くの島々があった浪速八十島の開墾が始まったのが天正年間で、慶長の頃には漁師が多く住んでいました。元和年間に海上安全の守護神である住吉大社の社家橋本亀太夫に請い、その分霊を千鳥橋下方中津川沿岸(四貫島元宮町)に勧請したという。 宝暦5年(1755年)に梅香1丁目に移転し、更に大正10年に大阪市電敷設に伴って現在の住所に遷座。昭和20年の大阪大空襲で焦土と化しましたが、氏子崇敬者の奉賛により昭和38年に社殿が復興し、今日に至ります。
切り絵御朱印は紺から青、青から碧へのグラデーションの台紙に、拝殿と鳥居、青海波模様を切り抜いており、海と海上安全の守護神をイメージしたデザインとなっております。
四貫島住吉神社様の社伝によると、かつては多くの島々があった浪速八十島の開墾が始まったのが天正年間で、慶長の頃には漁師が多く住んでいました。元和年間に海上安全の守護神である住吉大社の社家橋本亀太夫に請い、その分霊を千鳥橋下方中津川沿岸(四貫島元宮町)に勧請したという。
宝暦5年(1755年)に梅香1丁目に移転し、更に大正10年に大阪市電敷設に伴って現在の住所に遷座。昭和20年の大阪大空襲で焦土と化しましたが、氏子崇敬者の奉賛により昭和38年に社殿が復興し、今日に至ります。
切り絵御朱印は紺から青、青から碧へのグラデーションの台紙に、拝殿と鳥居、青海波模様を切り抜いており、海と海上安全の守護神をイメージしたデザインとなっております。